9・13・つじつまを合わせたがる脳。 論理的につじつまの合わない環境が存在しているときに、 脳が瞬時につじつまを合わせた解を導き出してくれるので、 その解に対応する行動が可能になっている。 人間はあらゆる情報を、精査することなく、 瞬時につじつま合わせしながら生きぬくような仕組みを備えている。 これまで生きてきた経験(進化の過程)に基づいて、 情報を無視したり改変したりすることを無意識のうちに実行し、生き延びてきたのだ。 ⇒http://www.kana-smart.sakura.ne.jp/New
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つじつまを合わせたがる脳。
論理的につじつまの合わない環境が存在しているときに、
脳が瞬時につじつまを合わせた解を導き出してくれるので、
その解に対応する行動が可能になっている。
人間はあらゆる情報を、精査することなく、
瞬時につじつま合わせしながら生きぬくような仕組みを備えている。
これまで生きてきた経験(進化の過程)に基づいて、
情報を無視したり改変したりすることを無意識のうちに実行し、生き延びてきたのだ。
⇒http://www.kana-smart.sakura.ne.jp/New-SMART-12-07-23/Tujituma-170308.htm
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人間は何をもって「世界」を認識しているのでしょうか。
存在している世界と、私たちが感覚器官などを通じて認識できる世界との関係はどうなっているのでしょうか。
私たちが普段、感覚器官を通じて捉えている世界は、世界そのものとは言い切れません。
カントは「人間の認識は、感性という形式、悟性(知性)という形式、理性の形式によって制限されている」と唱えました。
カントによれば、人間の認識とは、
五感から入ってきた情報を
時間と空間という形式によってまとめあげる能力としての「感性」、
概念に従って整理する能力としての「悟性(知性)」に基づき、
考える能力としての「理性」によって統一像にもたらされたものだと導き出しました。
つまり、私たちは物をそれ自体として認識するのではなく、
物が私たちに現れる通りに認識することしかできないということなのです。
これを認識論における「コペルニクス的転回」と呼びます。
カントにとって自由とは、欲求に支配されてやりたいようにやることではなく、
自らルールを立て、
そのルールを守るという自発性、
つまり意志の自律そのものなのです。
⇒https://www.toyo.ac.jp/link-toyo/culture/immanuel_kant/
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