9・12・・苦しい、つらい、きつい って 快感。 ・死にそうになるの って快感。 ・死に向かってる って快感。 ・もう限界 って快感。 「決めてしまう」のカラクリ。 何々って 快感。と決めてしまう。と 脳は つじつまあわせの理屈をみつけてくる。 ↓↓・脳には つじつまあわせの機能が備わってる。 ↓↓・私たちは物をそれ自体として認識するのではなく、 物が私たちに現れる(=脳の判断)通りに認識することしかできない。 つじつまを合わせたがる脳。 論理的につじつまの合わない環境が存
ボーダー 「9・12・・苦しい、つらい、きつい って 快感。 ・死に」 https://linliv.ee/kj7EzGO/co/ot/sh/pl #LINELIVE で配信中
・苦しい、つらい、きつい って 快感。
・死にそうになるの って快感。
・死に向かってる って快感。
・もう限界 って快感。
「決めてしまう」のカラクリ。
何々って 快感。と決めてしまう。と
脳は つじつまあわせの理屈をみつけてくる。
↓↓・脳には つじつまあわせの機能が備わってる。
↓↓・私たちは物をそれ自体として認識するのではなく、
物が私たちに現れる(=脳の判断)通りに認識することしかできない。
つじつまを合わせたがる脳。
論理的につじつまの合わない環境が存在しているときに、
脳が瞬時につじつまを合わせた解を導き出してくれるので、
その解に対応する行動が可能になっている。
人間は何をもって「世界」を認識しているのでしょうか。
存在している世界と、私たちが感覚器官などを通じて認識できる世界との関係はどうなっているのでしょうか。
私たちが普段、感覚器官を通じて捉えている世界は、世界そのものとは言い切れません。
カントは「人間の認識は、感性という形式、悟性(知性)という形式、理性の形式によって制限されている」と唱えました。
カントによれば、人間の認識とは、
五感から入ってきた情報を
時間と空間という形式によってまとめあげる能力としての「感性」、
概念に従って整理する能力としての「悟性(知性)」に基づき、
考える能力としての「理性」によって統一像にもたらされたものだと導き出しました。
つまり、私たちは物をそれ自体として認識するのではなく、
物が私たちに現れる通りに認識することしかできないということなのです。
これを認識論における「コペルニクス的転回」と呼びます。
カントにとって自由とは、欲求に支配されてやりたいようにやることではなく、
自らルールを立て、
そのルールを守るという自発性、
つまり意志の自律そのものなのです。
苦しい、辛い、キツイ って快感。
って
かわいそうな横隔膜に言い聞かせる。
かわいそうな腹筋に言い聞かせる。
かわいそうな肺に言い聞かせる。
かわいそうなウクライナに言い聞かせたい。
かわいそうなミャンマーに言い聞かせたい。
かわいそうなアフガニスタンに言い聞かせたい。
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